猿投北断層の分岐断層を辿る
2022/3/12
 瀬戸市のハザードマップを見ると発生率は低いが、南東部にある猿投山北断層による地震の被害想定域が示されている。この断層は、土岐市から戸越峠を経て八草辺りまで続く活断層である。
 断層帯は、海上集落の南東側(花崗岩内の断層)にあるが、東山路町の東海自然歩道登り口辺りで分岐した断層帯の露頭が海上の森センター北に現れている。礫層と花崗岩の境が明瞭に分かる露頭で横に解説板(地図内番号@)が立っている。
@ 解説板
 露頭の断層面は、北西側が礫層で南東側が風化花崗岩になっていて花崗岩側持ち上がって生じたものという。

 資料を調べてみると、海上の森の散策路の一部は分岐断層帯に沿っているようであり、北西側の礫層は尾根など高い所に残っていて谷筋では浸食されて下層の花崗岩が出ているという調査結果もあった。

 参考資料→散策マップ(海上の森の会HPの活動フィールド参照)、瀬戸ペディア(猿投北断層)PDF、 瀬戸市南東部, 海上の森の地形・地質…PDF
分岐断層は礫層と花崗岩という判別し易い断層である。浸食による分かり難くさはあるかもしれないが、断層帯の北西側に礫層、南東側に花崗岩が見られると思い予想される道筋(散策路と一部山道)を歩いてみた。
A 断層露頭
<北(礫層)・南(風化花崗岩)>9:54
B 断層露頭から南50m、海上の森マップ38番散策路入口 9:55 C 礫層の砂利<38番を入った広い谷の北側>
10:00
D 風化花崗岩の真砂<広い谷の南側>
10:00
E 礫層の砂利<五輪塔分岐北側>
10:05
F 礫層の砂利<五輪塔が立つ高台>
10:05
G 風化花崗岩の真砂<五輪塔分岐南側>
10:06
H 風化花崗岩<散策路の両側>
10:09
I 礫層の砂利<散策路>
10:10
J 礫層の砂利<37番から北方向散策路>
10:11
K 風化花崗岩<37番東方向の南側>
10:13
L 礫層の砂利<散策路北側>
10:14
M 風化花崗岩<散策路>
10:15
N 礫層の砂利<34番北方向>
10:18
O 礫層の砂利<34番北方向散策路>
10:19
P風化花崗岩
<34番から東10mの33番南東角>10:23
Q礫層の砂利
<33番東30m・散策路から外れた山道>10:26
R 礫層の砂利<南海上川支流への山道>
10:28
S礫層の砂利(支流の北)・風化花崗岩(支流の南)
<南海上川支流北側の山道>10:30
21 風化花崗岩<南海上川支流南側の山道>
10:34
22 河岸の砂利<南海上川右岸>
流れ落ちた礫層の砂利が堆積したものかも…
10:45
23 花崗岩<南海上側左岸>
尾根の礫層の下の花崗岩と思われる 10:47
24 風化花崗岩<南海上川右岸側の崖>
10:47
25 風化花崗岩
<3番・南海上川/海上川合流点の北>
礫層の下の花崗岩と思われる 10:49
26 花崗岩<集落手前の海上川両岸>
礫層の下の花崗岩と思われる 10:54
27 花崗岩<海上川左岸の神社への道>
礫層の下の花崗岩と思われる 10:55
28 礫層の砂利
<標高差20m程登った神社裏手の斜面>11:01
29 花崗岩<里山サテライト北の市道東の崖>
この市道付近に断層帯があると思われる 11:10
30 礫層の砂利
<市道の西を標高差10m程登った斜面>11:17
31 同左、市道との間に断層があると思われる
11:18
32 風化花崗岩<四つ沢から50m程南の谷>
礫層の下の花崗岩と思われる
11:44
33 礫層の砂利
<南へ標高差20m程登った散策路>
上部の礫層が現れ三角点先まで続く 11:47
雑感・その他
・標識38番から33番までの散策路は、一部で風化花崗岩の道もあるが大凡南西側に礫層の砂利、北東側に風化花崗岩が見られた。33番から先の山道もその傾向が状態が続き、断層の境目が道になっているように思われた。
・南海上川の支流から神社にかけては、急峻で道が無く辿れなかったので南海上川沿いに下り迂回して神社へ向かった。南海上川両岸は花崗岩であるが、河岸の一部に堆積したと思われる砂利も見られるので尾根に礫層があるようだ。
・神社東側の海上川左岸の道は花崗岩で、標高差20m程上の社殿付近には礫層の砂利が見られた。
・海上集落の里山サテライト北の市道沿いの谷は、東側に花崗岩、西側の標高差10m程登った所は礫層になっていた。断層帯は、この谷から神社東の海上川辺りを通って海上の森センターへ続いているのだろう。
・尾根の上部に礫層が残り、海上川や南海上川などによる浸食が進んで下層の花崗岩が露出していることが分かってきた。海上川左岸の四ツ沢から尾根最上部の三角点に向かう散策路を歩いてみると、予想通り最初は散策路が風化花崗岩であるが標高差20m程登ると礫層の砂利が現れて三角点の先まで続いていた。
・2時間程の歩行で一部の地形を観察しての素人判断であるが、大凡の海上の森の地質構造をイメージすることができた。